青森県議会 1984-12-20 昭和59年第160回定例会(第7号) 本文 開催日: 1984-12-20
最近野党と連合のもくろみがあり、あわや二階堂政権誕生かとされましたが、それはまさに、天下のやみ将軍田中軍団の傘下から芽生えてきたのであります。
最近野党と連合のもくろみがあり、あわや二階堂政権誕生かとされましたが、それはまさに、天下のやみ将軍田中軍団の傘下から芽生えてきたのであります。
中曾根総理は弘前までやってきて、お国のために共産党を東京へ絶対出すなと呼号し、戦後政治の総決算を唱え、日本国民が戦後営々として築いてきた社会進歩と民主的な成果を根こそぎにして反動的、ファッショ的な方向に日本を導こうとしましたが、このたくらみに対して、県民、国民は良識と知性、勇気をもって田中軍団の二人を退け、二区では、軍団所属の二人を抑え、一人を落選させ、津川代議士の誕生をもってこれにこたえたのであります
しかし、万人が見るとおり、史上最低の投票率は、十カ月に及ぶ醜い自民党内のあなたと沢田前知事との公認争いに対する、そしてまた田中軍団の金力と権力を背景として公認を強引にもぎ取ったという報道にも見られる、あなたに対する県民の厳正な審判のあらわれであったことは疑いありません。
しかも、重大なことは、被告 田中角栄は、復権をねらって、いわゆる田中軍団とよばれる派閥を強大化させていることであります。一国の政府と与党が、賄ろ罪で最高刑を求刑されるような刑事被告人に事実上支配されているといったことは、民主政治を建前とする我が国では、およそ考えられない異常事態であります。
この時期は、田中元首相がロッキード事件の刑事被告人という立場からいかにして復権をかち取るか、そのためにいわゆる田中軍団を急激にふやす時期であったと言われ、また、ロッキード事件の裁判費用のかかった時期とも言われているところであります。この新田中金脈事件の一つとして新たに資金づくりの場所として鳥屋野潟が浮上してきておることに、多くの県民は新たな注目をし、その解明を求めているのであります。
代議士として公判で仮にシロになったとしても、それは国民の目には、巨大な田中軍団の政治的圧力としてしか映らないでしょう。そして、会員の諸君が、夢よもう一度、いままでと同じように田中を利用し、自己保全を図ろうなどという考えが少しでもあるとすれば、それは大いに改むべきであります。